「盛れるメイク」として大人気の#夢月メイク。真似しやすいのに、しっかり「可愛い」を引き出してくれるメイクが注目を集めています。
手がけるのは、ヘアメイクアップアーティストの夢月さんです。SNSをうまく活用し、自身のキャリアを広げてきた夢月さんはこれまでどんな人生を歩んできたのでしょうか。「自分を信じている」と語る夢月さんの、変化との向き合い方を伺いました。
―夢月さんはご自身が初めてメイクした時のことを覚えていますか?
本格的に自分でメイクをするようになったのは、中学3年生の終わり頃ですね。肌が弱かったので、それまでは日焼け止めくらいしかしていなかったんです。でも、肌も強くなってきて自由にできるようになったので、高校入学に向けてメイクし始めました。
貯めたお小遣い1万円を握りしめてマツキヨに行って、メイク道具を一式揃えた記憶があります。マトメージュもその頃からずっと使っていて、今もヘアメイクの仕事バッグにも入っているし、自分の家にもあります。メイクを始めたての頃はドキドキしましたが、始めて1週間くらいで自分にとって「当たり前」のものになっていました。
―10代の頃からメイクが大好きだったんですね。でも、高校卒業後、一度は服飾の専門学校に入学されているかと思います。どんな背景があったのでしょうか。
メイクだけに限らず、文化祭で衣装を作ることなど、細かい作業が好きだったんです。同時に、アイドルのような可愛い女の子が大好きで、ヘアメイクやファッションを真似するところまで含めて楽しんでいました。そんな背景があって、アイドルの衣装やウェディングドレスなど、誰かを可愛くするためのお洋服を作りたいなと思って、服飾の学校に入りました。
ーその後、改めてメイクの道に進むことになったのは、どうしてですか?
服飾学校に入った当時、私は自分にものすごい才能があると思っていたんです。けれど、いざ学校に入ったら周りの作業スピード、インプットの数、アイデアの豊富さなどに圧倒されて、自分って才能ないんだなと2〜3週間で気づきました……。
そんな中で、1年生の夏休みに友達のメイクモデルをやったんです。友達がコスメや筆を広げた瞬間に「これだ!」と思いました。その後、服飾学校には1年だけ通って、次の春から夜間の美容学校に通い始めました。急な進路変更だったので、当時は父と大喧嘩しました(笑)。もちろん、今では応援してくれています。
―周りより1年遅れての進路変更に不安はありませんでしたか?
同世代で既に美容学校に通ってる子たちに比べると、遅れを取っている上に、私は夜間学校で全日制より長い日数通わなければいけないので、焦りはありました。
みんなから一歩出遅れている状態をどう取り戻していこうかと考えた時に、ふと「有名になればいいんじゃない?」と思いました。そこで直感的に始めたTwitterで、メイクの情報を載せ始めた結果、タイミングよく伸びて、今のお仕事につながっていきました。
―SNSが、今のお仕事の大きなきっかけになったんですね。こんなキャリアになることは、美容学校に通い始めた当初は想像していましたか?
最初に思い描いていたのとは違う方向に進んでいます。分野によりますが、タレントさんや美容雑誌の仕事をするようなヘアメイクさんは、まず憧れているジャンルのヘアメイクさんのアシスタントになって、技術と人脈を身につけてキャリアを積み重ねていくのが王道です。だから、私も最初は誰かのアシスタントになりたくて、SNSで有名になろうと思ったんですよね。今思うと、SNSをしなくてもアシスタントにはなれるはずなんですけどね(笑)。
結果的にご縁があり、憧れとは少し違うジャンルのヘアメイクさんのサブアシスタントにつき、1年弱という短い期間で独立してお仕事することになりました。きっかけになったのは、美容学校に特別講師としていらっしゃった、有名なメイクさんの言葉です。授業で知り合って、学校卒業後も気にかけてくださっていたのですが、ある時自分のキャリアについて相談したんです。そうしたら「夢月ちゃんなら、このままやっていけると思う」と言ってくださって。
それに従ってみたら、今のようになりました。ただ、私はタイミングや運もうまく重なってこうなったと思うので、確実なのは長くアシスタントにつく道かなとは思います。
―ここまで様々な決断と変化を経験されてきたと思いますが、夢月さんにとってのターニングポイントはいつですか?
2つあります。1つ目は、最初にお話しした、友達のメイクモデルになった瞬間です。
2つ目が、今の事務所「Three PEACE」に入ったことです。実は、事務所に入るきっかけそのものは少しネガティブでした。数年前に嫌がらせのようなものを受けて、お仕事が減ってしまったことがあったんです。それで、もう少し相談できる人や守ってくれる人がいたらいいなと思い、事務所への所属を検討し始めました。
いざ、事務所に入ろうと思った時に、すぐに浮かんだのが「Three PEACE」でした。独立を決めた6年くらい前から、もしいつか縁があれば入りたいなと思っていた事務所です。きっかけこそネガティブだったものの、そろそろ「Three PEACE」の門を叩くのに十分な仕事をしてこれたかなと思ったので、連絡をしました。
事務所の門を叩いてから、実際に所属するまでにも半年くらいかかりました。というのも、今まで「Three PEACE」には私のようにSNSで仕事を増やしてきたタイプのヘアメイクさんはいないし、世代も少し上の方が多かったんですよね。社長は私のやっていることを評価しつつ、本当にこの事務所でいいのかと一緒になって考えてくださりました。今でも事務所の方が一緒に売り出し方やお仕事の仕方を考えてくださっています。
―実際、事務所に入ったことで、お仕事の内容やお仕事の仕方はどんな風に変わりましたか?
事務所に入るにあたって個人的に目標にしていたのが、インフルエンサー枠から脱することと、美容雑誌で仕事をすることだったのですが、どちらも叶ってきています。
お仕事のために、SNSはものすごく大切でしたが、やっぱりインフルエンサーっぽく扱われることが多かったんですよね。ヘアメイクの仕事をしているのに、メディアのベストコスメ企画で私は「インフルエンサー枠」の審査員にされていた時は、ちょっと悔しかったです。さまざまな方の専属メイクなどもやりたいと思っていたので、「インフルエンサー」ではなく「ヘアメイク」として認識してもらわなければと思っていました。美容雑誌の仕事も地続きで、「ヘアメイク」として専門的な雑誌に出たいなと考えていました。
今は、事務所に入ったおかげで自分だけではできなかったようなお仕事をいただくことも増えました。美容雑誌でもWeb連載をいただいたり、4ページも見開きで企画をいただいたりしています。やりたかったお仕事ができているので、本当に楽しく働けているなと思います。
―キャリアの築き方を中心に、夢月さんは今までにない新たなことにたくさんチャレンジされています。その原動力はどこにありますか?
私は、自分のことをすごく信じています。これまでヘアメイクとして歩んできた道も、自分の売り出し方も、自分の強みも、なかなか今までのヘアメイク業界では無かったタイプだと思っています。だから、自分にしかできないことが割とたくさんあると思っていて、それが自信につながってるのかな。
でも、自分を信じているからこそ、何事も人のせいにできないんですよね。うまく行くも行かないも、自分次第だと思っています。
なので、たとえばアシスタントの子がちょっと失敗しちゃったとしてもその子のせいではなくて、自分が事前に対応策を用意していなかったから起こってしまったんだなと思い、一緒に次の対応を考えます。自信があるからこそ、自責思考でいろんなことにチャレンジしたり、改善したりできるのかなと思います。
―まさに、今年のマトメージュのキャッチコピー「私は、変わることを恐れない。」とも重なりそうですね。
そうですね。私も、自分にぴったりだなと思いました。
新しい道を選んでいくことは自分自身の変化でもあるし、同時に業界的にもちょっとした変化につながるかなと思っているんです。以前は、SNSを頑張ってやっていることが、「今っぽいだけでしょ」と思われてしまうこともあったのですが、私が率先してやっていくことで業界からの見方が変わればいいなと思っています。
自分自身にとっても、業界にとっても新しい風を吹かせられるように、「変わることを恐れない」でいたいなと思っています。
ーこれを読んでいる方の中には変わりたいと思っても、なかなか一歩踏み出せない人もいるかと思います。そんな人は、どうしたら変化できると思いますか?
変化って怖いこともありますよね。私がしてきた変化も、周りから見たら行き当たりばったりで、結構大きな変化をしてきているように見えるかもしれません。でも、実際にはそうでもないんですよ。
コツは、きっかけとなる直感や感情を大切にしたまま、論理的に置き換えて方法を考えることだと思います。感情のままに変化をするのではなくて、変化の過程で地に足をつけて、確実な方法や正しい努力の方法を選べれば、必ずうまくいくと思います。そう考えれば、変化ってそんなに怖いことじゃないと思えるはずです。